きなこくるみにっき

つれづれと書く

生きてるだけでえらい

私は自己肯定感が低いです。

 

 

親からはできないことを注意されたり怒られたりするばかりで、できることを褒められた記憶がありません。

合わない人との人間関係を築くのが苦手で、幼稚園の頃から数年に一回はクラスでの疎外感を感じることがあったのも原因だと思います。

 

心が安定していないんです。(メンヘラともいいますね)

自分のことが好きになれません。

自分のしてきたことは大したことないとしか考えられない。

もっと上を目指さなきゃとずっと思っている。

などなど。

 

7年前にうつ病と診断されていろいろ調べてから自己肯定感や自己受容という言葉を知り、私にはそれがないと悩むようになりました。

ありのままの自分を受け入れるという感覚がわからない、できない。

 

 

 

心身の状態は環境によって良くなったり悪くなったりを繰り返しているのですが、この1,2年は比較的上向きを続けています。

そんな中、状態の良いあるときに突然

 

「自分は自己肯定感が低いんだ」

 

と、悩むわけでなくただその事実を受け入れられたことがありました。

ということは。

自分のいわゆる長所は認められなくても、悪いところを認めるところから始めればいいのかと。

これが自己肯定の一歩になるかもしれないと思いました。

 

 

 

それでも自分の長所をアピールすることに躊躇があると、就活がうまくいきません。

現在の転職活動もなかなか進まず困っているので、人に手伝ってもらうこともよくやっています。

 

先日その一環で、Wasei Salonメンバーの方にに強み探しをお手伝いしてもらいました。

いろんなお話をしたのですが最終的には私には強みがないというよりも自己を過小評価しすぎているからそこを変えたほうがいいというお話がメインになり、そこから2,3日は自分の自己肯定感についてずっと考えていました。

 

 

 

話は変わりますが私はこのWasei Salonの平日朝会にここ1ヶ月参加しており、その日やることを参加者に宣言しています。

転職活動中なので「求人検索をします」とか「エントリー文章を作ります」とかそのときのタスクを話すものの、やらない日のほうが多いのが正直なところで、そんな自分を例のごとく「だめだなぁ」と思っていました。

 

でもいい加減そんな自分に嫌気がさしたのと数日ぶりに時間のゆとりがあったので、昨日は久しぶりに求人検索とタスクの楽譜作成に思い切って手を付けてみたら、一日を終えたときに

「求人検索と楽譜作成やった私えらい」

という思いが湧いてきました。

 

それをTwitterに書いてから寝たのですが、翌朝それを見返したときに

「“○○やったからえらい”という考え方は“○○しないときはえらくない”になってしまうのではないか」

と思って、それもつぶやいてみました。

  

そしたらフォロワーさんからリプライが来て、

『私は生きてるだけでえらいと思っているので、楽譜作成なんてできた日には超えらすぎてご褒美を用意します』と。

 

生きてるだけでえらいのか・・・?

 

そこで自分の過去を振り返ると必ず行きつくのが、大学時代一番心身が切羽詰まって死ぬことしか考えていなかった日々。

大学も行けず医者もカウンセラーも信じられなくなって行かなくなり、惰性で続けていたバイト以外引きこもり、ロープが気休めのお守りで、一度だけ焼酎で大量服薬をしてしまったあの頃。(大量と言いつつそんな量は飲めなかったので大事には至っていません)

 

今はずいぶん生きることに前向きになっているし、その頃の自分から見たら今生きているのってめちゃくちゃえらいのではないか?

そのフォロワーさんのリプライがすごく腑に落ちたのでした。

「私、生きててえらいんだ」と初めて心から思えたかもしれない。

 

少し前に3ヶ月の職業訓練校を卒業できたときは、パートナーからは本当にすごいよがんばったと言われても何も響かず、自分では全くえらいとか思えませんでした。

なぜこんなに突然考えの転換が生じたんだろうと考えてみたら、

以前は他人と比較していて(職業訓練卒業したって就職決まってない/他の人はもっと長時間で大変な仕事をこなしているのにetc)、

今回は上記のように過去の自分と比較しているというのが大きな違いだと気づきました。

昨日「求人検索と楽譜作成やってえらい」と突然思えたのも、ここ最近やれていなかった・やりたくなかった自分の怠惰さを断ち切り、気力を振り絞って手を付けたので褒めたくなったんだと思います。

 

それからこの考え方は減点がなくて、加点方式なんですよね。

まずそもそも生きているだけでえらくて、夜寝て朝起きたらさらにえらいし、ご飯食べたらもっとえらいし、予定遂行したりタスクこなしたらもっともっとえらいんだなと。

これが自己肯定の始まりなのかもしれない。

なので私は今日から「わたしえらい」というワードを意識して、自己肯定筋を鍛えようと思います。

あの「肯定ペンギンのコウペンちゃん」を自分の中に住まわせる感じだなと。

 

一つデメリットなのが、「えらい」という言葉がゲシュタルト崩壊しそうなことです。笑

逆にすごいなと思ったのが、今までネガティブなメンヘラツイートをしても反応が来ることなんてなかったのに、「わたしえらい」を連呼したツイートはいろんな人にいいねしてもらえたことです。

褒め言葉がどれだけ大事かということと、みんなこういうふうに自分を褒めながら生きているんだなということを思い知りました。

 

 

今日も外出自粛して生きたのでえらいし、この気づきをこうやってブログに書き起こしたし、何より自己肯定感が低いのに自分を褒めようと努力しているので私はとてもえらいです。

これを読んだ人も一日を乗り切ったのでえらいし、他人が書いた長い文章を最後まで読んだのですごくえらいです。

いらすとやのペンギンの赤ちゃん

いらすとやのペンギンの赤ちゃん